石見焼
 石見焼の由来

島根県の中部地域は、その昔から「石見の国」、別名を「石州」とも言われてます

石見地方からは弥生・縄文時代の土器や平安初期の須恵器など、数々の埋没した文化遺産が現在でも発掘され、石見地方が古くから粘土を原料にした生活用品が使われていた事が伺われます。
また、 中国地方一の大河、江の川、天領江津本町甍街道(いらかかいどう)、西日本最大級の水族館アクアス、サーファー
好評の海水浴場、万葉の歌碑、石見神楽など、四季を通して様々な楽しみが満喫できます。

中国太郎「江の川

江の川は広島県北広島町の阿佐山に水源を発し、その後、いくつかの支流と三次付近で合流。中国山脈を横断し、島根県の美郷町・川本町を経て、江津市の日本海にそそいでいます。 長さ194キロ、流域面積3,900平方キロと、中国地方で最も大きな川で、中国太郎ともよばれています。 江の川流域では四季を通じて様々な自然が見られ、人々はこの豊かな自然の恵みをうまく生かしながら生活を営んできました。
江の川 江の川河口上空から

万葉歌人、柿本人麻呂ゆかりの地

柿本人麻呂ゆかりの地として知られる江津市には多くの歌や伝説が伝えられています。また、江津市には万葉の歌碑が五基あります。これは全国にも例を見ない多さです。
歌碑 高角山

伝統芸能「石見神楽」

石見神楽とは島根県西部(石見地方)に古くから伝わる伝統芸能で、その年の豊作や豊漁を祈願し神々に捧げる歌や踊りのことをいいます。華やかな衣装や表情豊かな面を身につけた人々が太鼓や笛のお囃子に合わせ、30数種ある神話を題材として悠々と舞う姿は観る者を魅了します。お囃子には、テンポの速い八調子のものと遅い六調子のものがあり、石見神楽は八調子の代表的なものになっています。
石見神楽写真 石見神楽写真
 

石見焼陶器の起源(由来)


 1592年から1610年にわたる文禄・慶長の役に、この地方から出兵した武士が帰朝の際、朝鮮の陶工(李郎子)を連れ帰り現在の浜田市や鹿足郡柿木村にて焼物をつくらせてのが始まりといわれ、本格的に陶器が作られるようになったのは、1765年の宝暦年間に現在の江津市において製陶法が学び伝えられています。現在の石見焼に見られる「片口」や「徳利」などの小物の技術は、周防の国の岩国藩から入江六郎という陶工を招いて受け継がれています。「水かめ」のような大物陶器作りの技法は、1780年代の天明年間に水かめ写真備前の国の陶工が江津に来て伝授したとされています。
 江戸時代の末期には、浜田藩家老が陶器産業を殖産事業として奨励し、窯造りが相次ぎ、窯数も増え、江津地域は水かめの生産の一大拠点であったことが記されている。
庄屋宛てに焼物屋が増加し、薪が高値となったため、窯場の新規参入と現職の場所替えを許可しないようにと、嘆願書を提出した古文書が残っている。
 この時代に北廻船の回航ルートが開かれたことにより、物資の流通が盛んになり廻船帖の記録によれば、北廻船による焼物の出荷件数が大幅に伸びていることからも、石見地方の窯元が増産していたことが伺えます。

石見焼きの水がめ

水かめ写真  明治に入ると石見焼の水かめは、台所を中心として水を確保する容器として各家庭の必需品となり、防水性・耐寒性・耐酸性の特質が評価され、さらにその用途は広がり「石見焼」特有の「しの作り」による「大かめ」も、日本海側を中心として、北海道から九州まで販路は広がり、明治後期には第2期の最盛期を迎えています。
 1904年(明治36年)には、現在の石見陶器工業協同組合の前身である石見焼陶器製造業組合が発足するなど、その発展は目覚しいものであったようです。
 昭和の初期は引続き、水がめ、すり鉢、こね鉢などの需要は更に伸びましたが、第2次大戦の混乱期には生産が一時衰退し、昭和30年代に開発されたプラスチックなど合成樹脂容器や、上水道の普及に伴い石見地方の各窯元は大きな打撃を受けましたが、手作りによる日用品としての「石見焼」が見直され、民芸陶器へと移行して現在に至る。
 

伝統的工芸品「石見焼」

石見陶器工業協同組合は、伝産法に基づき「伝統的工芸品」の産地指定を申請し、平成6年4月に当時の通商産業省より「石見焼伝統的工芸品」の指定を受けました。伝統的工芸品とは、100年以上の歴史が有り、現在も継続している昔ながらの原材料を手作業の技術・技法が根幹にある工芸品を指します。
  石見登記工業協同組合に属する窯元は、「伝統的工芸品「石見焼」検査委員会」に出品し、厳正な審査に合格した製品にのみ、石見焼伝統的工芸品として承認され、証紙(経済産業大臣指定伝統的工芸品マーク)貼付により伝統的工芸品の表示をする事が出来ます。
 

石見焼きの特徴

 
焼成…約1250度~1300度(磁器に近い品質の素地になる)
素地…硬質で吸水性が低い。塩分に強く、耐寒性・耐酸性にも優れている。塩や酸による害がないので梅干しや漬物、らっきょう漬け等に適している。

粘土…この地域の良質の粘土(都野津層粘土/宇野・水上・長見・浅利・二条・金城等)を使用している。

石見焼きの原料

 
釉薬…鉄を含有する深みのある茶褐色の「来待釉薬」・アルカリを含有する「温泉津石」は酸化焼成では黄土色、還元焼成では青色に発色する「透明釉薬」・益田長石・石灰石・わら灰・土灰(粘土・釉薬共に天然の原料で科学的な原料は使用していない。)
絵付け用…酸化鉄・呉須(酸化コバルト)